何事興味を持つと検索したくなるもので『ミニマリスト』入力すると、『ミニマリスト 末路』や『ミニマリスト 悲惨』というワードが出てきます。
『末路って…』
末路
goo辞典より
- 道の終わり。
- 一生の最後。晩年。
- 盛りを過ぎて衰え果てた状態。なれのはて。「英雄が哀れなーをたどる」
要するにバッドエンドということみたいです。
ネットやSNSでのミニマリストは質素で貧しいイメージを持たれているようにも感じます。
おそらく、室内にものがなく、生活費は○万円以下、食事回数は一日に1〜2食などとテレビやメディアで報じられたことから定着してしまったのかもしれません。
注目が集まりやすい極端な内容が取り上げやすいためしょうがないのかもしれません。
そしてそんなミニマリストに影響された筆者ですが、どんな影響があったのかまとめてみました。
ミニマリズムに影響を受けてから
筆者は特にミニマリストとは思っていませんが、ミニマリストの方のブログやSNSは参考にしています。少なからず、考え方や目的の影響は受けているように感じています。
そして影響を受けてかれこれ5年ほど経ちました。
影響を受けた経緯は、生活費がギリギリで生活苦だったこと。
生活苦の原因が当時手取りが少なく、同居していたパートナー(諸事情があり無職)を養っていた事にあります。当時は自分一人が働かないといけないものと思い込んでいたような…。
さらにその状態で車が故障したため買い替えを行いカーローンによるさらなる生活圧迫。頭金としてお金を支払い貯金が無くなったことなど、どれもお金に関係することで悩んでいました。
そんなときに、節約系・ガジェット系YouTuberがおすすめしていた『持たない暮らし』から、試しにやってみたというもの。
※当時のパートナーとは別れています。自身の幸せのための決断ができました。
娯楽の断捨離
娯楽はお金がかかり、時間を浪費してしまうものと捉えていました。
旅行や外食、趣味のゲームなど。旅行や外食は一切行かず、ゲームはリサイクルショップへ売り貯金にして、断捨離という名の我慢した生活に変わりました。
そして浪費に対する全てを『悪』として考えるようになっていきました。
我慢なので気持ちとしても安定せず、他人の楽しいひとときやキラキラした一面を見るのが苦痛になっていました。
娯楽を楽しむ余裕がなかったため、ひたすらものを捨てて気持ちを落ち着かせていました。
友人関係の悪化
娯楽を断ち切った延長線で、友人からの食事や遊びに誘われても断り続けていました。
次第に誘われることはなくなり、友人との連絡も疎遠になっていきました。
それだけでなく我慢をしていたがゆえに、SNSに映る友人の充実した生活が疎ましく思うことすらあり、外的要因をだんだん避けるようになってきて自身の殻にこもるようになっていました。
良く言えば人券関係の断捨離と言えそうですが、決して望んでいたことではなかったように思います。
パートナーへ断捨離を強要
当時同居していたパートナーは掃除・片付けといった家事が全般苦手でした。
ゴミを捨てることも苦手であったことから部屋は散らかり放題に。
あまりの散らかり具合に我慢ならず、片付けだけでなく断捨離も強要するまでになっていました。そして、日々ケンカと口論の嵐。
話し合えばよかったのですが、気持ちが不安定で余裕もない日々からか筆者の一方的な価値観をぶつけていたと反省。
ものに対する価値観や片付けができないことへ寄り添う気持ちを忘れてしまっていたように感じます。
おしゃれに興味が無くなり、身だしなみも気にしなくなる
出費となってしまう洋服の購入は控え、美容室は行かなくなりました。
- 『洋服』 ▷ 自宅にあるトレンドが去った服か傷んだ服、たまにユニクロのセール品を購入する
- 『美容室』 ▷ 1,000円カットに変更して、3ヶ月に1回通う
確かに出費としてはだいぶ浮いていましたが、清潔感も同時に失っていたのかもしれません。
清潔感が無いことはプライベートだけでなく、仕事面において大きな損失に繋がります。上司や同僚はもちろん、取引先からもだらしない印象を与えていたはず。
一見お金を浮かせたように感じますが、だらしない人へ仕事を任せたいと思うことはおそらく無いことでしょう。
その結果、機会損失へと繋がり本来の目的であるお金の問題から、さらに遠くなってしまうことに。
『末路』と言われる原因
以上が影響を受けてからの内容でした。ミニマリストの影響というより金銭的な問題も強くあったのかもしれません。
しかし、本来の目的である『お金の悩みを解消したい』という目的から、断捨離する対象がものだけに留まらず、娯楽や友人関係にまで手を伸ばしてしまった結果だと思っています。
当時の筆者は、生活に豊かさや幸せはあまり感じていなかったのかなと。
ミニマリストの本来の目的は、『ものを手放して、ものに縛られずに豊かな生活を手に入れること』です。
筆者のように断捨離が行き過ぎてしまうと『末路』といわれてもおかしくないのかもしれません。
実体験をまとめると下記の通りです。
- 娯楽を断捨離 ▷ 浪費を楽しめなくなる。
- 交遊関係の断捨離 ▷ 友人関係の悪化と気が付いたときには孤独になっている。
- 価値観の押しつけ ▷ 上記と同様に関係の悪化。
- 身だしなみの断捨離 ▷ 将来への投資が無くなり機会損失の可能性が出てくる。
ものを減らすことから次第に行動が変わっていき、豊かにしたかった生活が逆に貧しくなっていきました。
価値観の押し付けはもちろんダメですが、娯楽さえも楽しめなくなったら生きていて幸せでもなければ、豊かに感じることもありません。幸せに感じない以上『末路』と言われるのしょうがないのかも…。
経験できたからこそわかったこと
影響を受けて一時的に悲惨な状況に陥りましたが、筆者にとっては大事な経験でした。
当然ですが、経験しないと良し悪しがわからないから。
一度手放してしまうことで見えてくる世界も発見できるし、手放して不便なことも辛いことも体験したからこそ実感できました。
人間関係の修復は大変なことですが、後悔しているのであれば素直に話し合うことでお互いに大切な関係だったのであれば受け入れてもらえるはずです。
もしダメなら、そこまでの関係だったと思うように努力するしかありません。
言い訳かもしれませんが、人間である以上間違いも起こしてしまうもの。
しかし、この経験ができたからこそ大切なことを知ることができて大きな財産になったと思っています。
安心して欲しいのはお金は多少かかるけど、ものはお金を出せばまた買えるということ。
経験はこのタイミングでしか得ることができなかったということ。
最後に、『末路』は一時的なものだから気にしない
ミニマリストやシンプルライフが浸透しつつある世の中ですが、注目が集まればそれだけ否定的な意見も出てきます。
検索した方の中に否定的な意見で調べた方もいるかもしれませんが、それも大切な価値観だと思います。こんな人も中にはいるので、サンプルとして頭に入れてもらえたら筆者としては価値がありました。
もちろんミニマリスト憧れてたけど、心配して検索している方にも参考になれば本当に嬉しく思います。
さて、ミニマリストの『末路』ですが人生が終わっていない以上、先の未来はなんとでもやり直しができます。なので『末路』ではありません。本当に一時的なことです。
『試してみて失敗した』その過程の一部分が『末路』や『悲惨』に見えてしまっただけです。
ミニマリストの生き方や考え方は、自分にとって必要なことややりたいことに時間を集中させるための手段に過ぎません。
もしやりすぎてしまっても、筆者のように今は豊かに幸せに過ごすことができていますので、なんとかなると安心してもらって大丈夫!
ではノシ